ルクイサリの紙



2021年2月


5日

長らく休止していた通販を再開しました。

早速ご注文があって嬉しいです。今月末か来月までには、紋様イラストの原画など、新作を追加する予定です。

原画販売用に先日描いたもの。スイートピー、カスミソウの生花を見ながら描きました。

最近、古い物のリメイクにはまっています。

クッキーの箱をミシンで縫って手帳にしたり。

穴の空いたルームシューズに革きれをあてたり。

捨てるには上等で勿体ない学生時代のマフラー。どうしても取れない校名の刺繍の上からボタンをつけて、カモフラージュしたり。

むかし手芸趣味だったので、リメイクに使えそうな資材がたくさん余っています。ただ抱えていてもしょうがないものたちを、こうやって活用できると楽しいです。


12日

原画販売用にカーネーションの絵を描きました。今月末か来月ごろからBOOTHに並べます、よろしくお願いします。

近所にいい花屋さんを見つけたので、時々そこで生花を買って絵に描くことにしました。カーネーションの花弁、ラテンの地域のドレスみたいにフリフリですごく可愛いですね。

お花は可愛いんですが、描くぶんにはこうやって、ちょっぴりグロく生々しく描くのが楽しいです。

小説もやってます。『白樟夢』、少しずつ練っています。

最近は、「SFでなくファンタジーであること」の難しさに行き当たっています。

ファンタジーの方が性に合っているのは確かなのですが、今ちょうど、自分の頭の固さに制作が阻まれていて……ファンタジーもSFと同じくらい奥が深くて難しいですね。

例えばグラス一杯の水があるとして、それがケイ素と水素と酸素であることが当たり前の世界というのは、私たちの現実世界と大して変わらないわけです。そしてそれは特別に説明する必要もなく、私たちもグラスの水に対して、いちいちそんなこと考えていない。

ところがファンタジーの世界では、グラス一杯の水は「大地と火の成す子供と水の精霊」だったり、「異国の盃と天の恵み」だったりするわけです。あらゆるアイテムの由来や材料が、平気で私たちと違っていたりする。

分子や原子といった概念もなく、陰陽五行や四元素でものを計っている/もしくはそれらのエレメントこそが「本物」だったりする。もちろん文化とか、ソフト面もまるっきし違う場合がある。独創的な世界観であればあるほど作中で頻繁に説明する必要があるし、説明の機会がなくても筆者として理解しておく必要がある。

ファンタジーをやるなら、元素から作っていかないといけないのかもしれない。そういったことを考えていると、「ファンタジー、途方もねえ……!」と思えてきてくらくらします。

でも、こうやって「ちゃんと考えなきゃ!」ってしすぎるのも良くないのかな、と……それもそれで固くなっちゃっていかんな、と思います。

童話や子供向けの作品は、SFであろうとファンタジーであろうと、不思議な現象に対する説明が無い場合があります。人魚姫の下半身が人間の足に変化する過程はどんなだったとか、桃太郎が桃の中でどのような胎児期を過ごしたかとか、考えるのも追求するのもナンセンスです。

童話や民話に特有の、そういった奇天烈な(時には寝ぼけた人が語る夢のように荒唐無稽な)物語は、その背後に子供向けの緩い世界観があるからこそ許されています。

ファンタジーの分野にも色々あると思いますが、あまり本格的に設定を詰めてハイファンタジー的にしてしまうと、自分がSFを書こうとして行き詰まった地点にまた帰ってきてしまいそうだ、と思いました。

物語の世界観の緩みは、子供向け作品の他にも、抽象的・詩的な作品に現れることがあります。(大昔に読んだのであまり覚えていませんが、例えばカフカの『変身』のような。)私は明確なストーリーを作るのがあんまり得意じゃないので、たぶん、絵画や詩のように抽象的な小説を書いた方が良いはずです……。

それで、今は「もっと作品の現実味を緩められないかな?」と悩んでいます。人物の精神や感情の交流だけははなるべく具体的に書きたいので、その他の部分(物語や舞台設定)をできるだけ緩めていくというか……。

『保育器から墓場まで』から『白樟夢』へ作り直す時、舞台などは変えても、人物だけはほとんど手を加えていません。だから、それが私の撮りたい被写体のはずです。

何もかもが緻密なパンフォーカスの世界でなく、人物に焦点を当て、背景を美しくぼかした世界を描きたい、と思います。


16日

今、机の上が花でいっぱいです。

この間、地元にまた新しく別の花屋さんを見つけました。小菊とアルストロメリアの花束を買ったら、社寺の多い地域だったためか、お参りかと訊かれました。花を絵に描くことを話すと、なんとスイートピーを2束もおまけして下さいました!

親切な花屋さんのおかげでデスクがとっても賑やかです。絵の制作も進んでいます。

最近通販用に作ったものです。

肥前名尾和紙のカードに絵を描いたもの。

手描き模様の生地で作ったカントリードール。

今こんな感じで、通販に並べる用に、ここ数年の作風とは違う作品(2017年以前の作風に近いもの)をあれこれ作りまくっていて……他にもWebの拠点をTwitterからこのホームページに移したり(サークル広報以外のアカウントを削除しました。交流のあった皆様、大変お世話になりました)……今年から大きく変わっていることがたくさんあるのを周りの方々にちゃんと説明できていないのですが、色々なことが重なってこうなりました。

ちょっとした人生の節目感すらあるのですが、自分自身も何がどうして今こうなったのか、あんまり整理できてない感じです。

今これを書きながらなんとなく振り返ってみると、

①2021年、新年や誕生日(正月頃です)を迎えてなんとなく気合が入る。

②持病(脳神経系)の医者に「スマホの見過ぎは脳に負担だよ〜」と言われてデジタルデトックスを意識する。

③ここ10年ほど自分の意識の多くを占めていたTwitterが少し遠のいた感じになり、新たな発信の場としてホームページを作り直す。

④精神的に孤独な、静かな時間が増える。2017年から熱を入れて制作してきた『保育器から墓場まで』シリーズを、焦らず細々とゆっくり作ろうという気になり、『白樟夢』シリーズとして改めて作り始めることにする。

⑤『保育器から墓場まで』を始めてから今まで、「死ぬまで続く自己治癒とライフワーク」であると同時に「これから仕事、職業にしたいもの」でもあった創作活動が二つに分離する。
ひとつめ:
もし老後にでも何かの仕事になれば嬉しいが、それよりも自己治癒として最期まで自ずと続いていくもの。『保育器から墓場まで(白樟夢)』シリーズなど、漫画や小説を作ること。何か作れなかったとしても、空想に人物を見ること、ひとの生に思いを馳せることそのもの。
ふたつめ:
人並みの社会活動に自信のない自分でも取り組める仕事として、これから(なるべく早く)積極的に職業にしていきたいもの。『保育器から墓場まで』に熱中する前や、熱中の合間に制作していた分野。線描の絵、和紙や布の作品など、線・色・質感に注目した作品作り、自分に向いている(と思う…)もの。

⑥今までやっていた仕事(クリエイティブ系とは無縁の、全く好んでいない業種です)を大幅に減らし、制作時間と活動エネルギーの余裕を作る。

⑦とりあえず、上記「ふたつめ」の創作として作りたいものをあれこれ作ってみたら、かなり多岐にわたってしまった。

……と、こんな感じでした。

書いてみると少しは整理できましたが、それでもやっぱり不思議な感じです。いつの間にこうなったんだっけ……。

先に書いた「ひとつめ」の制作も「ふたつめ」の制作も、まだ定まってない部分が多いです。特に「ふたつめ」として通販用に作ってるものに関しては、販売できるレベルのものが作れてるのだろうか? とか、作風に幅があってわかりづらいかな〜とか、販売するぞって思いながら絵を描くのっていまいちなのかも……とか、未だ考えがまとまらず。

それでも「ふたつめ」の目標として、今までやっていた仕事を休職している分、創作の分野で少しでも生活を補えるよう努力していきます。

新作の絵などは、今月下旬に並べようかと思っています。今作ってあるものの他、和紙カードの原画をあと数枚描き足します。余裕があれば、カントリードールをもう一体か、今月頭に販売した「百花混乱 カタバミ」のコースターを再制作する予定です。

新作のお知らせは、主に広報用のTwitterとInstagramで発信しています。Twitterは以前のようには使わなくなってしましましたが、色々な方々に変わらず見ていただけて嬉しいです(私も交流のあった方々の活動を時々覗かせていただいてます)。いつもありがとうございます。


27日

友人の勧めでFGOのアニメ、絶対魔獣戦線バビロニアを観ました。ゲームの方はその前章、ガウェインさんが出てきたあたりで放置していて(戦力不足)、所々シナリオのことが分からずですが、迫力があってお話も良くて面白かったです。バトルの音や演出がめちゃくちゃ格好いいですね。作画もびっくりするくらい安定してて綺麗でした。

ギルガメッシュ王、ステイナイトのほうとは歳が違うので、幾分か性格が丸いですね……。ウルク市民に演説した言葉がすごく響きました。死んでも、絶えても、誰かが生き残れば魂は語り継がれる。すごく好きな観念です。肉体は途絶えても魂を遺すこと、それこそが人の営みであり生命の営みだと思いました。藤丸君が、強敵達の絶大な暴力を、対話によって解決していくことにも通じてるんだな……などと思ったり。

あと、やっぱりメソポタ最強コンビは見ていてグッときますね。昔、原典と合わせてすごくはまっていたことがあったので……萌える気持ちを思い出しました。FGOのほうは変則的な設定だけど、もしstrange fakeのアニメがあったらまた違った風なんだろうな。

こういうバトル系の演出や作画の派手なアニメは、自分の場合ついつい視覚に意識を占められがちで、セリフが頭からすっぽ抜けてしまいがちなのですが、この作品は映像の娯楽性と言葉や内容の深みとがちゃんと頭に入ってきたので良かったです。

久しぶりに人物の絵を描きました。小さい加辺と鶴木。

最近はずっと鶴木と、気持ちが同調しています。同調、というのもなんか違うんですよね、う〜ん何というべきか……。

時期によって、自分の感覚にどの登場人物が通じるか、誰をおのれの柔く暗い部分で思い描けるかが変わりますが、今は彼です。大袈裟にいうと、内側から憑かれている、ような。

ひとを描く(書く)ときに、人生の終端、臨終から染め上げていくようにイメージが湧くことがあります。鶴木はそんな人です。先に後世の能登達の話を書いていたのもあって、鶴木のイメージは今際を起点としています。

スケッチとして書いた小説の断片です。重要な、明らかに冒頭でない場面を載せるのもどうかと思いましたが、読みもの・小説として仕上げることに以前よりこだわりがなくなったので、載せています。

絵のスケッチはあるのに、小説のスケッチという分野はないですね。強いていうなら詩でしょうか。物語の組み立てが不得手な自分は、こういった文章の端くればかり生み出して満足してしまいます。でも、少しは形にできないのだろうか、とも思います。

『白樟夢』シリーズ、絵本のような形態のほうが作りやすいのでしょうか……まだ思案中です。


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